クライエントの理解とは
クライエントの理解が難しいのは、 その人の価値観でいまの葛藤や悩み、
経験したこと、 将来やりたいこと、なりたい自分を理解することが
難しいからです。
その価値観を構成しているのは、 その人の身体的・生理的特性と
生まれてからの経験と学習です。
あたりまえですが、誰一人として価値観は同じではありません。
そして人は自分の見たいようにしか現実を見ません。
人はコンピューターのように現実をデータとして受け取り処理しているのではなく、
自分自身の価値観というフィルターを通してそれが現実であると理解します。
いってみれば自分にとって都合の良いように現実を解釈します。
例えば暴走族の若者を理解する必要があったとします。
平均的な社会常識を持つ人は「暴走行為を繰り返すなんてけしからん」という
視点で その若者を捉えようとするでしょう。
でももし自分がその暴走族の若者の立場に完璧になりきったとしたらどうでしょう。
暴走行為に至るまでの葛藤や鬱屈を経験していたらどうでしょう。
「いや自分はそんな方向に不満を発散したりはしない」というかもしれませんが、
それはその立場になりきっていないからです。
もちろん、完璧に相手の立場になりきることなど実際には不可能ですが、
クライエントを理解するということは、 客観性を保持しながらそれに少しでも
近づける作業だと思うのです。
無条件の受容や共感とは、 「ある状態」のことではなく」、 「そうあるべき
努力をする」と解してみてはどうでしょうか。
次回は、共感と同感の違いについて書きます。
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